初日

日記を書いてみることにする。いつまで続くか見物だ。こう書くとまるで他人事のようだ。
こういったネット上での日記あるいはブログというのは、毎日楽しく書きつくろううちに「日記を書かねば」という使命感に取り憑かれ、日々の生活において「日記のネタはないかここにはないかどこならあるか」と近所の主婦の井戸端会議にも耳をそばだて、上司の奇矯な振る舞いには目を皿のようにし、人と会話するに当たっては飛び出た鼻毛やズレたカツラ、後ろ前のセーターやら開放感と背徳性に溢れる社会の窓などなどを求めて常に視線は右往左往、その挙動不審ぶり粘着ぶりから人間関係に著しい問題を抱えるに至るほどの強迫観念に突き動かされ、実生活だけでは事足りぬと新鮮な話題を求めてネットを彷徨しては「ああ、今日も仕事/勉強しなかったなあ、これではいかんなあ」と感じてもいない後悔を日記につづるようになり、そのうちには虚言を弄することに快感を覚えて「近所の主婦たちが社会の窓に関する恐るべき犯罪を計画している」とか、「今日は社会の窓を全開にして街を闊歩してみた」とか、「むしろ社会の窓は開けておくのが直近の流行である」とか、「社会の窓などという下ネタで笑いをとろうというのは品性下劣なるやからのすることである」とか、不実な妄言ばかりのたまうようになり、社会の窓というのが果たして現代人の語彙のうちにビビッドな輝きを放っているのかという疑問さえ抱かない人間になってしまうのだと聞く。
末永く正気を保ったまま日記を書き続けるためには、毎日の更新はかえって良くないものであり、三日に一度とかそれくらいで思い出したように書くのが良いのではないだろうか。
これは事前の言い訳ではありません。
このように書くと、「ああ、事前の言い訳なのだな、一週間ほど書かないうちにおっくうになってやめてしまう根気のないやつなのだ」とうがった見方をする人が多いけれども、そのような誤解は恐れず、あえてもう一度繰り返しておく。
これは事前の言い訳ではありません。
と繰り返し書くと、「ああ、やはり事前の言い訳で、一週間ほど書かないうちにおっくうになってやめてしまう根気のないやつなのだ」とうがった見方ばかりする人が多いけれども、そのような誤解は恐れず、あえて繰り返したのだった。
ちゃんと二回目も書きます。たぶん?